こんにちは。

吉本歯科医院のカウンセラー、森下はるみ、です。

 

 

子供の頃の思い出というものは、どんなに歳をとっても忘れていないものですね。

 

8月に小学校の同窓会が、郷里でありました。

 

というのも、山間部にある私の通った小学校が、過疎の影響を受け、来年3月をもって

閉校となるため、級友らと最後の授業を受けようと、今は定年退職している恩師と再会することになりました。

 

残念ながら、当時の同窓生12名全てが出席することはできませんでしたが、山あいの静かな学校には、およそ山間学童とは言い難い・・・おじさん・・おばさんと初老の先生・・・

 

二十数年前と変わらぬ、教室にひびくお決まりの言葉・・・

 

「一回しか言わんからな、ようっく、聞いとけよ」

 

この日の授業は「理科」

 

先生の用意した道具で、「スライム時計」を作り始める。

 

歳をとっても、キャーキャー言うのは、やはり女の子(おばさん・・・かーー:)なんですよね。

 

2本のペットボトルの口を合わせて、中には、先生の言うとおりに調合した洗濯糊と・・・

え~となんだっけ・・・なんかの薬剤(もう・・忘れた)

 

二十歳の頃の級友が十数年ぶりに会っても、こうはいかないんですよね。

 

純粋で多感な、ダイヤモンドの原石のような子供の頃の笑顔がみんな顔によみがえってくるんですよね。

 

生まれ故郷とは、まさに心のリセットボタンのようなものかもしれませんね

 

楽しくも、切ない8名による最後の授業は、静かな校舎にこだまするように「起立、礼」で終わり、母校をあとにしました。

 

この日は、中学校の宿泊学習でも泊まったことのある、旧家の広間で、25年ぶりの雑魚寝

 

(男女とも・・・ちなみに中学校3年間は、全寮制だったため、みな同じ屋根の下で暮らしていました。)

 

あのころの私は、なにを夢みていたのでしょうか。

どうなろうとしていたのでしょうか。

 

友達と遊び、喧嘩し、泣いて笑ったあの頃。

 

裕福でもなく、欲しいものも手に入らず、田舎なので娯楽もないけれど、兄弟のような友達と家族のような隣人の中で、「不安」という文字はなかったように思うのです。

 

「プライバシーがない」というと、今の時代では、なにか束縛された印象を感じるのですが、上記の言い方は、ネガテイブなとらえ方です。

 

私の郷里の関係は、「関りあう社会」ということです。

 

強い人が上位ではなく、弱い人が負けではない。「家族」の中で優秀がないように。

 

郷里を離れて二十数年、私はこの高松で、「関り合う職場」に出会えたように思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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