もし・・・大切な人と今生の別れをしなければならないとしたら
どんな会話を交わすのでしょうか?
私 「今,仕事終ったけん子供を迎えにいくわ」
姉 「はいはい,今(マンションの)下で遊んどるよ」
私 「は~い,じゃあね」
夕方電話で交わした,なんていうこともない会話。
この後,姉が息をひきとりました。
急性心筋梗塞でした。
こんな,なんてことない会話が一生残る会話の一つとして私の脳裏に刻まれることになりました。
何気ない会話,いつもの会話が時として「特別な会話」になることがあるのだなあ・・・と思った瞬間でありました。
ちょうど,父の9年目の命日を迎えた翌日のことでした。
4姉妹の三女,一番上の姉の子供たちや,妹の子供たちに加え私の子供たちの面倒をよく見ていてくれて,すでにその子供も20歳を超えた者もいます。
それ程,子供たちも面倒もかからなくなったこともあったのでしょうか。
独身だった姉の役目も一段落ついたのでしょうか。
父が「お前もそろそろ,こっちへ来るかい」と手を引いてでもいくように,父の命日の
翌日に突然天国へ旅立ってしまいました。
長寿の国と言われて久しい日本,長生きが幸せの尺度として取りあげられることは
一般的となってまいりました。
その漢字からも「寿」という部分から容易に推測されます
父の時とは違う「死」というものへの複雑な思いといいますか生きていることの意味とか
その人の役割みたいなものを意識してしまう出来事でもありました。
ただ,人は何かの役目を負って生まれてきた。と私は考えたい
人には,いろいろな部分があると思うんです
例えば,「いい人」っていうのは,私にとって「いい人」であって果たして万人に対してそうなのかというと違うみたいにその人の存在がもたらす値打ち(表現は適切ではないですが)
皆にあると思いたいです。
一方で,その人の存在が周りの人に良い影響を及ぼすこともあれば,いなくなることで
人が成長することもある。
それは,「世代交代」という新しい細胞の誕生でもあるかもしれませんし,残された人の
感情や気持ちと環境の変化が及ぼす自我の目覚めであったり,責任感の移行でもあったりと,とにかく人の生き死にで,周りに及ぼす影響というものは,一言で言い表せなかったり,のちに時間を経てからおよんできたりするということもあると思います。
人の誕生は喜びや期待だけですが,人の死は「悲しみ」のほかに「感謝」であったり
時には「後悔」や時には「怒り」「恐怖」など,様々な感情が発生しますよね
上手くいえませんが,そういうことから,おそらくお葬式などの宗教的な儀礼があるのではないでしょうか。
そう言えば,お葬式でお坊さんがお経を読んでくれますが,よくよく聞いてみますと
人としての生き方であるとか,戒律,感謝などを表したものが多いそうです。
ようするに,お経というのは,亡くなった人を供養するというよりも死を通じて
人がどうあるべきかとか,仏心のありがたさを声に出して読んでいるものだったんですね
死をもって,生を考えるみたいな行為が日本(仏教)のお葬式では行われているように思います。
とりとめもない話になってしまいましたが,私を含め子供たちも
お説教とか知識では得られないものを大切な人の死から学びました
「今,下で遊んどるよ」
「じゃあね」
大切な姉との最後の会話は,テレビドラマのワンシーンみたいにドラマッチックでは
ありませんでしたが,心に残る素敵な会話となりました。