私の生まれ育った故郷では、あの有名な【平家物語】にまつわる伝説があります。

一般的に(教科書で習ったのよね~)、

 

【平安時代末期、平氏の棟梁の平清盛は、保元の乱、平治の乱に勝利した後、武家としては最高位の太政大臣になりました。

その後、清盛一族はみな高位高官ににのぼりつめ、平時忠が「平氏にあらずんば人にあらず」と言ったように、約20年間にわたる平氏の栄華が続きました。

しかし、1180年、源頼朝が伊豆で挙兵したのをきっかけに、諸国で源氏の勢力が蜂起し、平氏は苦境に陥りました。

1183年7月平氏は幼い安徳天皇を連れ、三種の神器を持って、西へと都落ちしていきました。

そして、源頼朝率いる源氏軍は、一ノ谷の戦い、屋島の戦い、そして壇ノ浦の戦いで勝利を収め、平家は滅亡!

幼い安徳天皇は、三種の神器(歴代の天皇の受け継いだ三つの宝物)とともに祖母である二位尼(にいのあま)らと冷たい海に身を投げてしまいました。】

 

と!

しかし、壇ノ浦で亡くなったといわれる安徳天皇も平国盛(たいらのくにもり)も、実は影武者だった...

 

それでは

「もう一つの平家物語」

実は...

屋島の戦いで敗れた後、平国盛の一行は、ひそかに幼い安徳天皇をお守りしながら、

阿波の国祖谷の地に逃れていきました。

平家一門は、阿讃山脈を越え、秘境祖谷のある岩屋に辿り着きました。

その日は大晦日(1231日)。

明日は正月、せめて岩屋 に松飾りをと松を探しましたが暗闇の中、松は見つかりません。

しかたなく桧(ヒノキ)の枝を代用して元旦を迎えました。

そして、、山深い祖谷の地で、平氏再興の望みをつないでいたといわれています...

こんな伝説があるんです!

 

おもしろいでしょう!

実際に、私の育った周辺には

     平国盛が矛を納めたといわれる鉾神社と国盛杉という樹齢800年あまりの神木がある。

     平家屋敷である阿佐家には平家の赤旗が所蔵されている。

     安徳天皇を火葬したしたといわれる火葬場跡がある。

     ほかにも何カ所も平家にちなんだ跡地がたくさんある。

また、いまでも阿佐家では、桧の枝を正月飾りにお祀りしています。

 

おわりに...

現代でも、お年寄りの方は、

「○○して下さい」

「また来て下さい」

というのを方言で

「○○してたもれ」

「また来てたもれ」

って言うんですよ。なんか平家のお公家さまみたいでしょ。

そして、もっとも信ぴょう性があるのが...

ここは...

「祖谷美人」っていわれるほど美人がが多いんですよ。

「京美人」か・な(笑笑)

 

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