父が亡くなってから、はや6年目を迎えることとなりました。

 

当時、下の娘は1歳の誕生日を過ぎたところで、お兄ちゃんは小学2年生。

6月13日、暑い日でありました。

 

自宅でベッドに横になったまま、気が付いた時には心肺停止状態になっていました。

 

「眠るように」という状態だったように思います。

 

肺の末期ガンのため、数ヶ月もの間お風呂にも入れていなかった父が、この日は自宅に介護士さんが初めて来てお風呂に入れてもらえました。

 

私と父の最期に交わした言葉は電話でしたが、今でもはっきり覚えています。

 

父「今日、風呂いれてもろうたよ。気持ちよかったわ」

私「ほんまぁ、よかったね。じゃ仕事あるけん切るよ」

 

この電話から数時間後・・・

 

救命措置を家族が行い、一時は浅いながらも息を吹き返しましたが、もともと肺が末期の病魔に冒されておりましたので、救急車がかけつけた時には、帰らぬ人となっておりました。

 

私が言うのも何ですが、家族に見守られながら静かに家のベッドの上で昇天したことは、父にとっても家族にとっても最高のお別れができたと思っています。

 

法要も7回忌ということで、家族だけの質素なお弔いをしてあげようと思っています。

 

お墓は、私が子どもの頃住んでいた家のすぐ下にある墓地にあります。

 

墓地と言っても、一般に皆さんが想像しているような、いろんな人のお墓が密集している分譲墓地ではありません。

 

田舎のお墓は、だいたい家の近くで畑の中にあったりします。

 

父のお墓のまわりには、たくさんの小さなお墓があります。

 

近年のであれば墓石で作られており、古いものは川石に字を彫り込んだだけであったり、こぶし大の石だけであったりと、ご先祖様だろう...ということでお墓参りの際には、すべてにお線香とお供えをしてきています。

 

そう...このご先祖様がいたから、今の私や子どもが生きているんだと...

 

生まれてわずか数年で命を落としていったご先祖様もいたでしょう...

 

...そんな中の一人が父でもあったわけで、お墓参りを通して子どもたちに伝えていかなければいけないことではないかと思っています。

 

さて、私の育った家も、今は道路が開通した際に取り壊してしまっています。

 

子どもの頃には家まで道路が来ていませんでした。

 

だから、学校までは、片道1時間半ほどもかけて山道を下り、川沿いの道路を沿って歩いて通っていました。

 

こんなことを子どもたちに話しながら、

(いったいお母さんは、こんな山奥でどんな暮らしをしていたのだろう...

 

と思わせることも、私のいじわるな楽しみの一つでもあります(笑)。

 

話をもどして...

 

いま中学2年の長男は、6年前は小学2年生で、学校から帰るといつも父(おじいちゃん)が家におりましたので、鍵っ子ではありませんでした。

 

突然の父の死というのは、8歳の子どもにとってどうとらえられたのでしょうか。

 

ただ、父がいなくなったあとも、しばらくは家へ帰るたび、お仏壇に向かって、さもそこに父がいるように

「じいちゃん、ただいま!」

と元気に声かけしていたことを昨日のように思い出します。

 

父を思い出しても、これといった感慨深いものはあまりしなくなってはいるのですが、この

 

「じいちゃん、ただいま!」

を思い出すと、胸が熱くなるのはなぜでしょうか。

 

純真で幼気(いたいけ)な子どもを通して、いまも私たちの身近にいるような気がする父の七回忌です。

Follow me!